No.27
2000.10.31
発行 守谷町国際交流協会広報委員会
マインブルクサッカー少年団さよならパーティー(ログハウス)
2000年度(平成12年度)上半期の主な活動
4.21~30 マインブルクサッカー少年団通訳ボランティア・ホームステイ受け入れ
4.21 マインブルクサッカー少年団ウェルカムパーティー
4.30 マインブルクサッカー少年団さよならパーティー
5.10 英会話テキストコース
5.10 第17回外国人のための日本語講座
5.12 理事会
5.26 中国語講座初級
5.27 学生委員会スポーツ大会
5.28 2000年度総会
講演会「キリバスの生活と日本国政府の援助」(笠原岳夫)
「シドニーでの生活」(木村千鶴)
6.11 あやめ祭りデイビジット
6.11 学生委員会あやめ祭りバザー
6.25 青少年海外派遣オリエンテーション参加
7.02 「世界を知るシリーズ」大使講演会
ベトナム公使参事官・グエン・ミン・ハ氏
7.29~7.30 JICA研修員ホームステイ
8.11 学生委員会新入会員歓迎会
8.19・8.20 学生委員会北守谷団地夏祭りバザー
9.04 平成12年度国際交流ネットワーク(県国際交流協会主催)参加
.9.24 MIFAフェスタ「われら地球人」
スリランカの子供達を訪問して
スリランカの子供達の就学を援助する会事務局・MIFA都市交流委員 遠藤栄治
※「MIFA NEWS №27」にはスペースの関係で要約した文でしたが、ホームページは全文を掲載します。
はじめに
この度、「MIFA NEWS」に、私達の会「スリランカの子供達の就学を援助する会」を掲載していただけることに大変感謝致します。この会は、MIFA会員を含め多くの人々の協力を得ながらも独自の草の根ボランティア団体として設立した会です。現在、開発途上にある国の恵まれない子供達の教育環境の整備改善を主な目的に掲げ、小さい組織でも国際貢献の一翼を担っていると自負して活動しています。仲間達と共に協働で運営しているボランティア団体の活動の一端を、この報告書を通じて、協会員の皆様に広く知って頂くと共に、皆様方による新しい別のボランティア団体の創設等を含め、貧しい環境の国々に暮らす多くの子供達の生活向上と就学等教育環境の改善に少しでも役立つ一助となれば幸いです。
学校に贈呈した人体解剖模型(贈呈式で)
私と笠原岳夫さん(守谷町国際交流協会(MIFA)の総務委員長)の二人は、スリランカ北部ジャフナ半島でのタミル人ゲリラと政府軍との激しい戦闘が小康状態のとなった今年7月から8月にかけて、私達の会が就学援助金を送っている子供達の暮らすバンダギリヤ村を訪問しました。今回の訪問の目的は、援助している子供達の家庭や教育環境等の現状を把握するとともに、今年1月、プロカメラマンのボランティア団体「フォトボランティア(日本)基金」から当会に寄付して頂いた学校教育施設拡充基金を現地の学校に直接、必要な教育器材等の形で贈呈することにありました。
私達の団体の活動方針、内容等について少し紹介します。「スリランカの子供達の就学を援助する会」は、今から6年前の1994年1月に、現在のMIFA会長小川一成さん、当時ログハウス委員長であった吉田英信さんと私の三人が発起人となって設立した始めは小さな仲良しクラブのような会でした。まず創設に当たり私達3人が考えたことは、長く活動を続けていくために「会の目的、理念」は高く掲げても、実際の活動においては余り背伸びをせず、会の組織力や資金力等自分たちの出来る能力の範囲内で地道に結果の見える活動をしたいという基本理念を持つことでした。このことからフォスター・プラン(国際援助機関)による既製のフォスター・ペアレント制度を利用しないで、直接目に見える形で経済的に恵まれない国の子供達に就学の環境整備や教育のために援助をする会を個人レベルのボランティア団体として判り易い名称を付けることになりました。そのことが、現在まで小さくても会員の協力を得て活動を続けてこられた理由の一つかもしれません。
スリランカの子供達に奨学金を送ることを決めたのは、日本に滞在していたスリランカ人のお坊さんソウマワンサ氏から、同国の子供達の就学状況を聞き、就学援助を行う地域の子供達の教育環境を含め状況を把握した上で、直接援助することができるか否かを検討した結果によります。現地の活動はソウマワンサ氏が責任を持って行うという確約をもらうことができ、私達の設立しようとする小さなボランティア団体でも、直接、目で見える形での援助が可能と一同の意見が一致したのです。
私達の会は、現在、会員30家族(MIFA会員の他非会員の方も多く所属しています。)と1団体(MIFAの学生委員会)が会員の総数です。非常に小さなNGO組織ですが、会員からは月に千円の援助金を毎年3月、6月、9月及び12月の第3土曜日午後7時から開いている定例会で3月分づつまとめて寄付して頂き、スリランカへは事務局から送金しています。現地ではソウマワンサ氏から直接子供達に月毎300ルピーを手渡しています。現在、援助金を受け取っている子供は34名います。このように、直接手渡すことにより、子供達の家庭環境や就学、教育の状況を目で見、確認することができるのです。私達の会も現地からの手紙で逐次状況を把握出来ています。これまで会では発足の翌年1月に武部信宏さんを訪問団長に、吉田英信さん、岡田建雄さん、和田司さん、片桐武美さん、そして私の6人が現地を訪問し子供達の家庭環境、教育環境を調べて来ました。この訪問調査結果については、帰国後、町内の公民館等で子供達の絵画展や写真展を開催して、一般に公表しています。その後も、ほとんど毎年、メンバーが現地を訪問して子供達の状況を自分達で直接把握することに勤めてい
ます。
前述した今回の訪問の目的は二つありました。まず、第一の目的であるバンダギリヤの子供達の現況把握と援助の効果について報告します。今回は、特に援助の効果等を直接調べるため子供達と私達とが質問回答形式で対話集会を行いました。多くの質問が子供達から出され、回答するにも難しい質問もあり、援助の効果等を知る上でとても有意義な討論集会であったと思います。バンダギリヤはスリランカの多数民族シンハラ人が暮らす村です。タミル人が多く暮らすジャフナ市等の北部地方や中心都市コロンボ市内等でのタミル人ゲリラのテロ活動もここでは皆無で、貧しい中でものんびりとした生活リズムが流れている村のように思いました。しかしながら当地の自然環境は、スリランカ国最南部のハンバントタ地方に位置し、国内でも雨が少なくトゲの多い低木が密集し農業に適さない気候風土地帯という、非常に厳しい状況です。その分だけ自然が身近にある場所でもあり、日々の生活を含め多くの面で自然との共存が求められています。私たちが訪問した3日前の夜にも、象に壊された家がありました。援助を受けている子供の家でした。当地では野生象が台所の塩や食べ物を摂取するためによく
人家を襲うそうです。幸いにも家族4人(母親と娘さんの4人)はうまく避難でき助かりましたが、家の一部、炊事場(台所)とその屋根が壊されてしまいました。私達も壊された家を訪問し、直接当時の話を聞きました。厳しい自然と共存して暮らすことは危険と常に隣り合わせの関係なのだと思い知らされた一日でした。現地でバスをチャーターして子供達と一緒にピクニックに行ったことも特筆できます。朝8時に学校に集合し、夜8時に帰ってきた長い一日でしたがほんとに楽しい遠足でした。目的地はヒンズー教の聖地「カタラガマ」と仏教の聖地「テッサマハーラマ」、そして海辺の景勝地「キリンダ」です。途中のバスの中では、子供達が歌を歌い、即席の太鼓(水ボトルタンク)をたたき、踊り、歓声が何時までも途絶えませんでした。途中、皆でそれぞれが持参した弁当を食べながら、貧しさに負けずに楽しく勉強に励み生活している子供達の姿が想像できたことで、本当に価値のある一日となりました。
子供達とピクニック(キリンダの海岸で)
次に、第二の訪問の目的について述べます。当会に援助して頂いた学校教育施設拡充費を現金で、あるいは日本で器具類を購入して送るよりも、直接現地で、必要な使い勝手のよいものを、出来れば学校の先生方と一緒に、現地のものを購入して贈呈するほうが、学校にも役立つし、スリランカの経済や人々にも役立つと考えたことにあります。大変な根気と時間の要る方法ですが、今後の当会の活動理念と援助の在り方を考える上で大いに役立ち、また大変うまく行った方法だったと、私達二人は考えています。ビーカーやフラスコ等の科学実験器具類や人体解剖模型、スライド等の学校教育に必要な備品類一つ一つを販売店で私達がチェックをしながら直接購入し、その多くを自分達で学校に届けたことはとても貴重な体験でした。この方法が可能となったのは、前日コロンボから280キロ離れたハンバントタから学校の二人の先生が夜行バスで1日かけて店に来て、必要な備品類の注文とチェックを行なったことにあります。本当に必要な物を送るには、大変な時間と関係者の努力が必要なことをつくづく思い知らされました。
その後、私達は同国中央部キャンディ市近郊にあるカハワンダラの学校にも学校施設拡充資金として、民族舞踊練習室の建設資金等を贈呈してきました。この学校は、現在、筑波大学で社会科を研究しているスリランカ人大学院生の母校であります。彼女からは学校の教育施設の拡充等について相談を受けていたので、会の定例会で何回か検討した結果、拡充資金の一部を贈呈することになりました。この地は私達にとって初めて行く場所でしたが、先に訪問したバンダギリヤの気候風土とは異なり雨が比較的多く、土地も肥沃なのか田んぼや野菜畑もあり、守谷の原風景にも似た小川が流れる田園地域でした。ここではこのスリランカ人の家に3日間ホームスティさせてもらいました。家族の人達にはスリランカ人以外はほとんど行かない場所(寺院が多いのですが)に連れて行ってもらい、別の意味でもスリランカ人の生活の一面を楽しく経験させてもらいました。また、ここでもこの学校の校長先生や教頭先生と私達は、一緒に近くの比較的大きな町に英文タイプライター(日本では現在殆ど使用されていないものですが)等の教育施設の整備に必要な備品類を買いに出かけ、何軒もの店に立ち寄り購入
してその多くを直接持ち帰り学校に寄贈しました。町の様子や人々の生活実態も直接知ることができ、買い物の途中、大きな町では英語等を教える私塾も見つけて、子供達が多数学んでいるのを見学できました。社会主義国ではありながら多面的な部分を垣間見ることができました。
終わりに
今回の訪問で感じたことを報告します。スリランカ国内では現在タミル人ゲリラによるテロ活動により、一部政情が不安定なところもあります。日本では渡航自粛国になっていますが、今回の訪問でお会いした多くの市民の方々からは、危険性を感じ取れる様子や話はありませんでした。この国の悲劇は「これまでに6万人も死んだ。」と言われている政治テロの未解決が原因になっていると、今回の訪問でも強く感じました。特に子供達への教育環境の改善は、教育資金の不足からか中々進まない現状にあることも知ることが出来ました。この国を豊かにするためには、時間がかかっても子供達の教育環境の改善と教育施設の整備充実を図ると共に、国を豊かできる産業構造に転換を図ることだと強く感じました。
このような中にあっても、私たちの会が今後も子供達に就学の機会を与える活動を続けることにより、少しでもスリランカの子供達やその家族がそして国全体が平和で豊かになることを期待し、今回の私達の報告とさせていただきます。
なお、当会について詳しく知りたい方は、事務局の遠藤(電話45-1495)まで連絡ください。搭載をして頂き大変有難うございました。
平成12年9月23日
世界を知るシリーズ ベトナム公使参事官講演会
7月2日、国際交流研修センターで、ベトナム社会主義共和国大使館公使参事官グエン・ミン・ハ氏による「大使講演会」が開催されました。
ハ氏は、北朝鮮で日本語を習得、ベトナム外務省第一アジア局次長を経て、現在はベトナム大使館にお勤めです。日本語が達者なため、講演は日本語で行われました。通訳を介さず生の声が聞け、参加者からも好評でした。
講演会では、時間いっぱいベトナムの地理、歴史、最近の経済復興、日本との文化交流関係について話されました。概要は次のとおりです。
ベトナムは、古くは中国やモンゴルの支配を受け、1858年からはフランス人との100
年にわたる抗仏戦争、1955年から20年間はアメリカとの戦争がありました。長い戦争から抜け出して国土再建が出来たのは25年前、文字どおりの平和の中で国造りができたのは、ここ10年だけです。
ドイモイ政策が始まったのが1986年。経済面では市場経済への過渡期です。これからは新しいドイモイをしなければ経済発展は不可能です。ベトナム人も力を出し合って国造りに励んでいます。しかし、自助努力だけではできません。世界各国との交流があって達成できるものです。
ベトナムにとって日本は最大の援助国ですし、貿易面でも最大の取引先です。ただ、人的交流が少ない。観光客をみても5番目です。観光地としては、北部のハロン湾。船上で新鮮な魚をその場で調理してくれます。中部ではフエ市や古い日本人町があるホイアン。また、中部メコンデルタのカント市の水上朝市など見どころはたくさんあります。まだビザは必要ですが、5人くらいのグループであればその場で発給できるので、今年は観光客が増えることを期待しています。
最後に「国旗の意味は」との問いに、「赤い色は共産主義者の、星は民族団結の政策で、労働者、農民、インテリ、軍人、商工業者の連帯と統一のシンボルで、共産主義の指導の下、全民族団結して国の防衛と国土建設をするという意味があります」と答えられました。
講演会修了後には公使参事官を囲んで交流会が行われ、ベトナムを知る良い機会になりました。
2000年度総会開催
。
2000年度総会が5月28日、国際交流研修センターで開催されました。出席者は38人でした。
会長挨拶、来賓挨拶の後、議長に吉田勝氏を選出、次第に従って議事を進めました。
議案第1号(11年度活動報告)・第2号(11年度決算)を上程、報告のあと全会一致で承認。議案第3号(12年度事業計画)・第4号(12年度予算)も全会一致で可決しました。
総会の修了後、講演会「異文化を探ろう」が行われ、協会員の笠原岳夫氏が「キリバスの生活と日本国政府の援助」、木村千鶴氏が「シドニーでの生活」を演題に講演されました。どちらも滞在していた外国での貴重な体験談で、もう少し時間があれば、と思いました。
講演会修了後は恒例のバーベキューによる懇親会が行われ、会員同士の親睦を深めました。
編集後記
「MIFAフェスタ われら地球人」も無事に終わりました。20カ国、54人のJICA研修員の参加がありました。9
月24日というシドニーオリンピック真っ最中の開催でしたが、踊りや太鼓、お茶などの協力団体の協力に加え、通訳や日本文化の紹介をしてくれた人たちなど会員以外からの参加も多く、こうしたボランティアに支えられてこそ、市民主体の草の根国際交流が出来るのだと思います。
こうした状況を見ても、守谷の国際交流は根付きつつあります。大使講演会には60人が出席、青少年海外派遣の希望者も14人の募集に63人の応募者があったり、少なくない人が国際交流に関心を持ち、外国の人たちとの交流を望んでいることは間違いありません。
市民主体の国際交流を掲げて12年。これからもMIFAをよろしくお願いします。
専門委員会
総務委員会
都市交流委員会
語学研修委員会
広報委員会
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学生委員会